最近不登校のお子さんのお話をよくお聞きするんです。
お店でも、子供の学校でも。
わたし自身はマジメに疑問も持たずに学校というものに通っていました。
いじめられたことなどもありますが、でも行かない選択は思いつきもしなかったんです。
だから、いろんな意味で行かない選択をできるお子さんは偉いな!と思っています。
学校へ行く、行かないは単なる選択の問題で
別に行かないことが悪いわけではないです。
悪いと思ってしまう「大人の都合」の問題です。
行かないことを「問題」と思わなければ、たくさんの道が見つかります。
これだけ学校へ行かないことを選択するお子さんが増えているということは、
子供が悪いわけではなく、「学校」というシステムが限界を迎えているのではと思います。
学校へ行かないお子さんをみると、体がとんでもないことになっていたりします。
病気って意図して作れるものではないです。
それが、こんな若さでここまで悪くなるということはよっぽど我慢しているという証拠です。
行かないことで命を守っているのかもしれません。
心のガマンは絶対に外に飛び出てきます。
心が本質だからです。
それを表現できない場合、絶対、必ず、いわゆる病気といわれるものが発現します。
それが本来の自分で生きていない人の鬱症状や病気が治らない体です。
お若い方や、後から生まれてくる命って今の私たちよりも命の質がとても良いと感じます。
綺麗です。
進化してるんですね。
お若いのにわたしのお話を打てば響くし、魂でわかってくれるんですね。
大人はその点、ダメです笑。
何回お伝えしても、体や生きることの本質を理解してくれる方は限定されます。
こういう魂にとって、学校というものは昔のように機能できなくなっているのではないかなと。
学校、というシステムは永遠に続くものではないと思っています。
大昔はなかったんですしね。
貨幣制度ができ、競争が起こり、奪い、奪われる、勝たないといけない!負けるのは悪だ!
こんなシステムの中でできた学校が、
愛を多く持っている今の子供達の感情にはマッチしないのも当然だなと、
不登校のお話を聞くたびに思います。
大人は学ばないといけないんです、子供から。
何も理解していないひ弱な存在ではないです。
人の本来の生き方や、自然の大切さや、無償の愛の意味を考えなくても理解しています。
大人が汚してはいけないなーと思います。
いつかきっと、今のシステムではないもっと自然な形のあり方ができる
「学校」というものが当たり前になれば良いなと思います。
相手を認め、自分も認め、飄々と生き抜くことができる人が沢山増えれば良いなーと。