日本人て元々「曖昧」が好きですよね。
テキトーな曖昧ではなく、全てを受け入れる器の広い曖昧。
八百万も神様がいる!って考えているくらい(笑)
きっちりとこれ!って決めないことが日本の良い部分ではないでしょうか。
東洋医学をやっていて、お体をみていてよく思います。
さじ加減がとても難しいのですが、曖昧でも体は受け入れてくれんです。
これは本当に素晴らしいシステムだなと思います。
曖昧な中から勝手に選択をしてうまくやってくれているんでしょうね。
もしかしたら、曖昧なことが実は体にとっては心地が良いのかもしれません。
体は見えないですが、常に変化をしています。
昨日のあなたは今日のあなたとは違います。
いつも代謝をして変化をしているので生きることができています。
鮮度が良い体ってことですね!
このスピードの速さについていくには
治療というのは曖昧があえて良いのかも。
以下は私が勝手に考えている一つの考え方です。
東洋医学の原本みたいなものって、すごーく曖昧に書いているんです。
大昔の漢文みたいなやつですが(笑)
本当に曖昧。。
これをちゃんと訳してくれた方のおかげで治療として私は理論を使えますが、
この原本を見ただけではさっぱり意味がわかりません。。
ずっと、なぜこんなにふわーーーっと書いてあるんや?
と思っていました。
東洋医学は一人ずつ体が違うというのが前提の治療なので
ふわーーーっとしてるのかなあ、とも思っていましたが。
今はそうではなく、もしかして
曖昧に体と対峙した方がその方に合った効果を出せるのかもしれないなと
考えるようになりました。
その方が効果の現れ方が格段に違うことに気がつきました。
でもこの曖昧、人に伝えにくい。。
きっちり決まっているなら、伝えやすいですよね。
この時はこうやで!と。
そして、またこの曖昧のさじ加減がふわーーーっとしないとコントロールできなくて、
難しい。
それを人に感覚として伝えるってさらさらに難しい。
曖昧な治療って何にもやっていないようで、すごく繊細な部分に触れるから
空中の糸の上を歩いてる感覚なんです。
日本人の曖昧さとか東洋医学の曖昧さ。
昔だってきっちり決めることができたはずのものを決めなかった昔の人の想い。
人体や宇宙の不思議な部分と繋がっているようで
やっぱり面白いです。